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多文化社会で機能するための英語教育

 

WRITTEN BY中川準治、大阪学院大学     ADDED ON: 平成21年3月26日     EDITED BYSatoru Miyakoshi 

お知らせ:現在IE6 SP2で表記バグが見つかっております。IE6 SP3以上で見ることをお勧めします。
 

 

Ⅰ.はじめに

 日本における英語教育はもっぱら言語習得と語法の正確さに焦点が当てられている。このために、英語は入学試験や入社試験のための測定値として用いられ、その出来不出来によって日本社会における成功を決定づけられることになる。その結果、英語教育カリキュラムは伝達能力よりはむしろ、英語のテスト対策に主眼を置いて作成されている傾向にある。しかしながら、日本人が他国の人々とコミュニケーションを取ることが普通のこととなっていく時代となるにつれて、現在のこの言語習得と語法の習熟という点に焦点を合わせる教育のあり方が、我が国や国際的なニーズを満たしているかどうかを問わなければならない。日本には他民族・他国家の文化を学ぶ「国際主義」志向が増してはいるが、この概念をもっと深めて我々がこれから必要とするのにもっとふさわしいものへと改良する時期にきていると言えよう。世界の人々を相手にするということは、一つ以上の文化を持つ社会の中で住むことを学び、そのために要求されるコミュニケーション技能をマスターしなければならないことを意味している。そのためには、単なる「国際主義」から「多文化主義」へと意識の中心を変えていく必要があろう。

 

 多文化主義とは、文化的に異なる集団に属している人々が、それぞれの文化的相違を受け入れながら、対等な立場で共生する時に要求される知識や相互理解技能および態度のことを言う、と定義することが出来る。

 

 例えば、日本人がアメリカに留学する場合、彼らが現地の人々によって受け入れられる度合というものは、学生個人の性格に依存する部分があるとはいえ、彼らがアメリカを形成している基本的要因である人間や社会、つまりその国を構築している要素をどれだけ理解するかどうかによって大きく変わってくる。彼らがこうした基本的要因をどの程度理解するかということが、彼らがアメリカ生活に適応していく過程に直接関連してくるのである。そのために、多文化が共生している社会であるアメリカのバックグラウンドを正確に知っておくことは重要なことである。

 

 そもそも、アメリカ英語には「多文化が共生すること」を表す特別用語というものはあるだろうか。アメリカでは「多文化が共存すること」は非常に日常的なことであるために、特別な用語は必要ないと言えよう。しかしながら、日本では「多文化共生」という特別用語を持っており、そのことが日本に特有のものの考え方を反映しているように思える。アメリカは既に多文化社会であるために、「多文化共生」という概念をことさらに持つ必要はないのである。別の言い方をするならば、異なる文化的背景を持つ人々が共存するという考え方にあまり慣れ親しんでいないのが日本なのである。

 

 この小稿では1)伝統的に単一文化であった日本を、典型的な多文化社会であるアメリカと比較し、多文化社会の中に住むことで必要とされる言語スキルを論じ、2)アメリカで英語を学んでいる留学生が自国で受けた英語教育とアメリカに留学して必要であると発見した言語教育について調べ、3)日本の学習者が多文化になっていく世界に備えるために、日本における言語教育に対する改革を提案していく。[1]

 

Ⅱ.多文化社会の実態

 Central Intelligence AgencyWorld Factbookによると、2009年7月現在、アメリカ合衆国の推測土地面積は916.1万平方キロメートル、推計人口は307,212,123人である。[2]  他方、日本の土地面積はカリフォルニアよりわずかに小さい37,5万平方キロメートルで、2009年7月の推計人口は127,078,679人とされている。アメリカの土地の広さは日本の約25倍あるにもかかわらず、日本の人口の2倍を超える程度しかいない。[3]

 

 合衆国の人々は広大な国に住んでいるが、彼らの大多数はそのルーツを他国に遡っている。それゆえに、アメリカ社会は多文化によって構成されているのである。こうした多文化、多民族の国がもつ様相の幾つかを手短かに考察するために、この章では、時に「人類のるつぼ」と称されるアメリカ合衆国の、異なる宗教、民族グループおよび言語について調べてみたい。

 

1.人種

 今日アメリカ合衆国と呼ばれる土地には、もともとアメリカインディアン(現在は先住アメリカ人と呼ばれている)が住んでいた。16世紀になって植民者がヨーロッパからやってきた。17世紀から19世紀にかけて、奴隷貿易によって黒人奴隷がアフリカから連れてこられた。19世紀初頭にはアメリカはアジアからの移民を受け入れた。このように、アメリカ合衆国は世界中のさまざまな移民によって作り上げられるようになってきた。更にその上、人種間での混血が起こったことにより、入り混じった人種の人々が出現するようになってきた。そして国は多様{たよう}な人種{じんしゅ}から成る一種のパッチワークのようになり、人種や文化が結合し同化した「人類のるつぼ」とも呼ばれるようになってきた。

 

 しかしながら、多様な民族と文化的集団は「人類のるつぼ」的な社会を形成することを選んだというわけではなく、彼ら自身の民族的、文化的固有性を保持する「サラダボウル」的な社会、つまり、サラダと似て、それぞれの材料は依然として認識できるものの、全体に対しては貢献している社会の方を好んだのである。現在のところ、多文化で多民族社会であるアメリカでは、アメリカが「人類のるつぼ」の社会であるべきか、「サラダボウル」の社会として考えられるべきか、という点に関しては、国民の間に一般的な見解の一致は見られていない。

 

 アメリカ国民の歴史は先住アメリカ人と多様な移民集団の歴史であると言える。アメリカ合衆国は他のどの国よりも多くの移民を受け入れてきた。これまでに5千万人以上を受け入れており、今日もなお年間ほぼ70万人近くを受け入れ続けている。[4]

 

 2006年におけるアメリカの人種と民族による人口の分布は次のようになっている。

  • 白人:74%
  • ヒスパニック系(全ての人種)14.8%
  • アフリカ系アメリカ人:13.4%
  • その他の人種:6.5%
  • アジア系:4.4%
  • 2つ以上の人種を祖先とする国民2.0%
  • アメリカ先住民とアラスカ先住民0.68%
  • 太平洋地域の先住民系0.14%[5]

 

 これに対して、日本では、北海道の先住民族であるアイヌ民族以外は、元々存在していた単一民族の日本人の中に、韓国や中国などの国籍を持つ外国人が入国した。総務省の国勢調査によると、日本に在留する外国人の数は、2005年末現在での外国人登録者数は約155万人、総人口に占める割合は約1.2%である。国籍でみると、韓国人が圧倒的に多く、総外国人の30.0%を占め、次いで中国人、ブラジル人、フィリピン人、ペルー人が後に続く。[6]

 

2.宗教

 さまざまな調査や統計で数字にわずかな違いが出るが、2001年にAmerican Religious Identity Survey ARISがアメリカ人5万人を対象にして行った宗教調査の結果によると、アメリカ人のうちで76.5%がクリスチャンであった。 また、クリスチャンのうちの53%がプロテスタント系で、カトリックは24.5%であった。プロテスタント系は更にバプテスト派やメソジスト派など、さまざまな派がある。

 

 クリスチャンに次いで多かったのは、無宗教の13.2%であった。次はユダヤ教で1.3%であった。以下、イスラム教、仏教、ヒンズー教などが続くが、いずれも0.5%以下となっている。[7]

 

 日本では神道と仏教を合わせると84%で、クリスチャンの0.7% を含む「その他」は16%である。[8]

 

 神道と仏教が二大宗教となっており、大多数の日本人は仏教徒である。しかし、神道や仏教は宗教というよりは慣習として初詣やお宮参りなどで神社仏閣に行ったり、法事、先祖供養の時などに意識される以外は、日々の生活の中で宗教活動を行っている日本人の割合は少ないと言える。

 

 また、宗教のことを日常生活の中で話し合うということはほとんどない。このように、日本人の宗教観はアメリカ人のそれとは大きく違っている。

 

 上で述べてきたように、アメリカには多くの異なる宗教がある。こうした異なった宗教というものは共存しているのだろうか。証拠に基づいてその答を出すならば。「イエス」である。その証拠の一つとしては米国憲法修正第1項が挙げられる。これは人々が宗教について論じる時にしばしば引用されるもので、次のように書かれている。

Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceablyto assemble, and to petition the Government for a redress of grievances.[9]

合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会し、また苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。

 アメリカで宗教が共存していることを示すもう一つの例として、電話帳を見てみよう。アメリカの電話帳のイエローページで「教会」の項を探してみると、数ページにわたってリストが続くことが判明する。同じことはインターネット上でも起きる。もしもインターネットで「教会」を検索すると、何千という教会のインフォメーションが表示される。

 

 イラクではイスラム教の異なる宗派間での武力衝突も頻発しているが、アメリカでは起こっていない。個々の宗教間での表立った衝突はほとんどないが、多くの人々は自分の信じている宗教こそが他のあらゆる宗教よりも優れていると信じている。[10]

 

 日本では、仏教、神道、およびほかの宗教は調和しながら存在している。ほとんどの家庭には仏壇があるが、新年になると神社にお参りに行く。新しい家を建てる時には建築用地を清めるために地鎮祭を執り行う。また、クリスチャンではなくてもキリスト教の教会で結婚式を挙げる人もいる。日本人は日常生活において、さまざまな宗教儀式に参列する。こうした出来事は日本人にとっては非常に自然なことであるので、そのことを議論する必要があるとは感じない。しかし、もしも多文化社会に行くならば、日本人の宗教観を説明することが要求されることであろう。

 

3.アメリカの言語

 1790年の合衆国における最初の国勢調査では、すべてのアメリカ人のうち、彼らのルーツをイギリスに持つものは約80%であった。アフリカ系アメリカ人は人口のおよそ20%で、そのうち70万人が奴隷であり、6万人が「奴隷でない黒人」であった。(中川&セラフィン、62

 

 その比率はその当時から変わり続けており、今日ではヒスパニック系とアジア人が数を増してきている。今日の移民は、アメリカの中で彼らが手に入れることが出来る好機を求めてやってくる。彼らは、戦争、飢饉、迫害、仕事や収入を得る方法がないことから逃れるためにやってくる。彼らは自分の生まれた国、「祖国」でよりも、もっとよい生活をアメリカで自分や家族のために築いていくことが出来るであろうと感じている。(中川&セラフィン、82

 

 アメリカ合衆国には法で定められた公用語というものはないが、英語が主要言語となっており、国民の大多数が英語を母語として話す。それゆえに、他の国からの移民が英語を学ばなければならないのは極めて当然のことである。もしも彼らが英語の授業を受けているなら、パブリック・スピーキング、ディスカッション、ディベート、ロジカル・シンキングといった技能の習得は非常に重視される。異なった背景、異なった文化、異なった物の考え方を持つ移民で成り立っている国であるために、自分たちの考えを言葉で表現することによってお互いに意思の疎通を図る必要があるのだ。

 

 文化的基盤が異なれば、話すことを通じて彼らの類似点と相違点を見極めることによって、絶えず相互理解をしていく必要がある。従って、ディスカッションへの加わり方や意見の相違を解決する方法を学ぶことは重要なことだと考えられており、幼稚園から大学に至るまで、学生は個人の考えを表現することが重視されている。彼らは自分の思想を表現し、あらゆる状況の中にあっても、同意したり、異議を唱えたり、反論したりして、人々と相互に交流を図ることを訓練される。

 

 一方、アメリカとは対照的に、日本は大規模に移民を受け入れてきた歴史を持たない。そのことは、よく似た認識の仕方や考え方の故に、日本人同士がより容易に意思の疎通を図ることを可能とした。そのために彼らは昔から自分の意見や考えを、議論を通して表現する必要がなかった。このようにして、ディスカッションやディベートは日本の教育の中で高く評価されてこなかった。

 

 江戸時代(1603-1867)から20世紀初めまで、学校教育においては、「読み・書き・そろばん」が重視されており、「話す」「聞く」という教育内容は入っていなかった。「話す」「聞く」能力を培うことが重要視されるようになってきたのは、ごく最近になってからである。

 

 「以心伝心」という日本語表現は、非言語的伝達手段に言及する時に用いられる。以心伝心は社会生活を送っていく上で、あるいはまたビジネスの場においても、非常に大事なコミュニケーションの一方法である。しかしながら、これはお互いが同じ文化、概念、価値観を共有していたり、親しい関係を持っている場合にのみ有効である。人々がこのようにしてコミュニケーションをとっていることは、日本の英語教育にも反映されている。

 

 一方、自己主張、議論に参加すること、自分の考えを口頭で表現することが出来ること、ディベートすることなどは、アメリカの教育における重要な目標となっている。従って、日本人学生が多文化社会の中で生きていく準備をするためには、自己表現の練習をすることは、上で述べてきたように重要なのである。このことは、英語を教える上で絶対に必要なことである。

 

 アメリカの教育機関で英語を学んでいる留学生は、日本からだけでなく、他の国々からも数多くいる。筆者はこうした海外から英語を学びに来ている留学生の意見を聞くためにアンケートを実施した。このアンケートの結果に基づいて、多文化社会の中で英語でコミュニケーションをとることになる学生に対して、どのような準備をさせておくべきか、日本における英語教育の目標を探ってみたい。

 

. アンケート結果

 このアンケートへの回答者数は、次の通りである。日本人:432、韓国人:92、中国人:97、ゲルマン民族系(デンマーク人、オランダ人、スウェーデン人、ノルウェー人、ドイツ人):75、ラテン民族系(フランス人、イタリア人、スペイン人、ポルトガル人):60(単位:人)[11]

 

 彼らが母国で受けた英語教育と、現在アメリカで受けている英語教育には、どのような差異があるだろうか。次に示すのは、自国で英語を教わった時に重視された分野と、アメリカの学校で英語を教えてもらっていて、大変役立っている分野を地域別に比較してみた。回答は複数回答とした。

 

 実際の質問は次の通りである。

 -あなたが自分の国で英語を教えられた時に重点を置かれたことは何ですか。当てはまるものをすべて選びなさい。

 -あなたがアメリカの学校で英語を学んでいる時にもっとも役立っていることは何ですか。当てはまるものをすべて選びなさい。

 

 選択肢は以下の通りである。

  • A)文法
  • B) 読むこと
  • C) 書くこと
  • D) 話すこと
  • E) 聞くこと
  • F) 自分の意見を発表すること
  • G) 議論すること
  • H) 異文化理解
  • Iコミュニケーションスキルを磨くこと
  • J) TOEFL TOEICなどの試験対策
  • K) その他: 

 

 筆者は、学生を日本人、韓国人、中国人、ゲルマン民族系、ラテン民族系の5つのグループに分けた。ではまず、日本人学生の回答をみてみよう。

 

 アメリカで勉強を始める前に日本で英語の文法、読むこと、書くことをしっかり学んでおくことはとても大事なことである。こうしたスキルを身につけておくことは、アメリカでどのような勉強をするにしても、あらゆる学習分野の基礎となるものである。アメリカに来てから文法や読むこと、書くことに勉強の多くの時間を費やすのは、時間の無駄になるであろうから、アメリカに来る前にこうした分野はある一定のレベルにまで達しておくべきであろう。アメリカでは、こうした分野に時間を費やすかわりに、英語で話す、聞く、口頭でのやりとりをする、といったコミュニケーションのために時間を充てれば、ネーティブ・スピーカーと話をする機会がもっと増えていく。自分の周囲に常にいる英語のネーティブ・スピーカーと話をする多くの機会を逃すべきではない。

 

 

 

 「あなたが自分の国で英語を教えられた時に重点を置かれたことは何ですか」という質問では、「文法」と答えたものが一番多かった。次に多かったのは「TOEFL TOEICなどの試験対策」であるが、これに対して、「議論すること」「異文化理解」「自分の意見を発表する」は最下位の3つであった。この質問の結果は日本の英語教師の大多数が英語を主に試験の準備のためのものとして教え、コミュニケーションの道具としては教えていないことを示している。

 

 「あなたがアメリカの学校で英語を学んでいる時にもっとも役立っていることは何ですか」という問いに対する日本人学生の上位3つの答は「話すこと」「聞くこと」「自分の意見を発表すること」であった。「議論すること」がその次にくる。こうした分野は、英語をコミュニケーションの道具として使うときに習得する必要のあるものである。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  韓国の学生は、「文法」と「読むこと」が韓国ではもっとも重視されたと答え、その次にくるのが「試験対策」であった。「話すこと」「聞くこと」「自分の意見を発表すること」は重視されていない。全体的に韓国と日本の英語教育は非常に似ているように思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中国人の場合、一番に選ばれたのは「文法」で、「読むこと」「書くこと」「試験対策」がそれに続いた。一方、「自分の意見を発表すること」「議論すること」「異文化理解」「コミュニケーションスキルを磨くこと」はまったく重視されていないようである。彼らの回答からすると、中国での英語の教え方は、日本や韓国で教えられているやり方に非常に類似しているようである。こうした日本人、韓国人、中国人はそれぞれの母国で似通った方法で英語を勉強してから、英語を勉強するためにアメリカにやって来た。それでは彼らがアメリカで英語を学んでいる時に、英語習得に関して彼らの間には何らかの相違点というものはあるのであろうか。

 

 

 

 

 カナダのパシフィック・ゲートウェイ・インターナショナル・カレッジ(Pacific Gateway International College)の最高経営責任者であるサミー・高橋氏は彼らの違いを次のように述べている。

It is commonly known that both Japanese and Korean students placed an emphasis on learning grammar when they studied English at school in their home countries. We don't have many Chinese students, so it's hard to generalize about them. However, through my observation, both Korean and Chinese students are quite vocal in terms of expressing their opinions. This may not have anything to do with the way English is taught. However, this strongly indicates that they have ideas which they would like to express using English as a means of communication. Their grammar as well as pronunciation is as poor as their Japanese counterparts, but the biggest difference is their confidence when they speak in front of other people. To summarize this, their method of learning English in these countries may not be so different from a linguistic point of view. The difference could lie in the cultural aspect.[12]

日本人と韓国人学生はどちらも自分の母国の学校で英語を学んだ時に、文法重視の教育を受けて来たということはよく知られていることです。わが校にはあまり中国人学生はおりませんので、彼らについて一般化することは困難ですが、私がみるところによりますと、韓国人も中国人学生も、自分の意見は非常によく述べます。このことは、英語がどのように教えられているかということとはあまり関係がないように思われます。しかしながら、このことは彼らが英語をコミュニケーションの手段として表現していきたいという考えを持っていることを強く示しています。彼らの文法や発音は、日本人同様よくはありませんが、最大の違いは彼らは人前で自信を持って話すということですね。このことを要約すると、彼らが自国で学んだ英語の方法は、言語学的な見地からするとそんなには違ってはおりません。違いは文化的な面にあると言えるでしょう。

 

 

 

 ゲルマン民族系グループの学生が自分たちの母国で受けた英語教育はアジアのクループである日本、韓国、中国のそれとは非常に異なっていることをアンケートの結果は示している。

 

 このグループでは、「文法」「読むこと」「書くこと」が重視されていたが、同時に「話すこと」と「書くこと」も強調して教えられていた。彼らは議論することには慣れているので、「議論すること」が過重な負担にはならなかったのであろう。彼らは既にアメリカに来る前に公の場で自分の考えを表現することの基礎というものを養っており、そのことがアメリカで英語を勉強することを容易にしているものと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラテン民族系グループはゲルマン民族系グループに似た傾向を示した。彼らの母国では「文法」「書くこと」「話すこと」「読むこと」「聞くこと」がすべて重視されている。しかし、「自分の意見を発表すること」「議論する」「異文化理解」「コミュニケーションスキルを磨くこと」はゲルマン民族系グループほどは教えられていない。

 

 彼らがアメリカで「文法」「読むこと」「書くこと」を教えられることが、「自分の意見を発表すること」「議論すること」といった言葉によるコミュニケーションを教えられることよりもっと役立つと感じているのは、非常に興味深いことである。

 

 

 

 

 

 「英語習得に大きな役割りを果たしていると思うものを選んでください」という次の質問の結果は、それぞれのグループでわずかながら結果が異なっている。それぞれのグループが選んだ上位項目は、次のとおりである。「動機の強さ」(日本人とラテン語系学生)、「自分の国の言葉が英語に似ていること」(韓国人)、「自分の国で受けた英語教育」(中国人とゲルマン語系学生)

 

 実際の質問と選択肢は次の通りである。

 -英語習得に大きな役割りを果たしていると思うものを選んでください。(複数選択可)

  • A)
    国民性
  • B)個人の能力
  • C) 分の国の言葉が英語に似ていること
  • D) 自分の国で受けた英語教育
  • E) 動機の強さ
  • F) 個人の性格
  • G) 他の要素

 

 

 日本人学生は「動機の強さ」と「個人の能力」をもっとも多く選んだ。彼らは英語の習得は個人の問題と考えており、母国における英語教育にあまり多くを期待していない。しかしながら、自分の国での英語教育は重要なことであるはずである。英語習得に対する次の考え方は、英語を学習するのに有益な指針となるであろう。

“コミュニケーション”と“カンバセーション”は違うものです。単に会話を交わしたり情報交換をするのがカンバセーションであるのに対し、目的意識を持ちながら意思を伝え合い、何らかの結果を生み出すのがコミュニケーションです。中国人はこうした姿勢で英語を学んでいますが、日本人は上手に会話ができるようにカンバセーションを学ぼうとします。この意識を転換しないと、日本はグローバル・コミュニティにおいて情報を発信できない国になってしまう危険性があります。[13]

.日本語教育において議論することの重要性

 文部科学省は、2008328日に、小学校学習指導要領の改訂を告示し、新学習指導要領では小学校56年で週1コマ「外国語活動」を2011年度から実施することにした。[14]

 

 これに対して、小学生に英語教育を行うことは不要であり、英語のかわりに国語をもっと教える必要がある、と主張する人は多くいる。しかし、小学校で英語が国際的なコミュニケーションの道具として教えられるなら、国語学習のみならず他の教科においても、議論する、ディベートを行う、自分の意見を日本語で明確に表現する、といった気持ちを培うことによって、積極的に言葉でコミュニケーションをとる意欲をかきたて、日本語で明確に話をしようとする態度が養われることになるであろう。

 

 残念なことに、文部科学省のホームページでは、現実の国語教育の場では、コミュニケーションの基本と言語活動に問題のある生徒の例を指摘している。最近は、日本語であっても話し言葉で自分のことを的確に表現できない子どもが増えているということである。

 

 日本語で的確に自分の気持ちや意見を述べることが出来ない生徒が目立つ。日常生活の中での諸問題に対処するために、自分自身の考えや感じていることを表現出来るように子供たちを教育する必要がある、と教師は感じている。こうした現状を国語の授業の中で改善するためには、もっと日本語で発言する能力を育成することに主眼を置くべきである。こうした能力の育成が、正当な自己主張や議論を展開することの出来る能力を育成していくことにつながる。[15]

 

 国語教育を中心として、自分の気持ちや意見を堂々と発言できるようになれば、英語教育を含めた他の教科でも、同様に活発な発言や議論をすることが出来る波及効果をもたらすことになるであろう。あらゆる教科の基礎となる国語教育の中に、是非とも話す技能を高めていく教育を望みたい。

 

 それでは、「議論」や「意見交換」の仕方を教えるには、具体的にどのようなスキルを教授する必要があるだろうか。次に紹介するのは、グループ・ディスカッションを行う際に実用的で実行可能な助言を提供してくれるウェブサイトの例である。

 

 また、相互に意見の交換をするコミュニケーションの場に参加することを促す方法を教え、説明している本としては、

  • Impact Issues
  • Global Issues Today
  • J-Talk, Identity
  • The Non-Stop Discussion Workbook
  • Stimulating Conversation
  • Make Your Point!

 などを初めとして、多くのテキストブックがある

 

V.おわりに

 第二章でみてきたように、アメリカの多文化社会においては、多様な価値観や背景を持つ人たちが住み、英語を共通言語として生活をしている。日本人がこのような社会に住む人々とコミュニケーションをとるには、日本人が持つ価値観や考え方、自分の意見といったものを明確に伝えることが大事である。異なった意見を持っている人とコミュニケーションをとっている場合であっても、自分の意見は率直に伝える必要がある。

 

 他者と交流を図る時に、疑問点を出し、不確かな点を明確にしていくことは不可欠なことである。議論を通してお互いが理解し合いながら見解の一致を見つけていくことが大事である。このように、日本語で意見の交換をし、自らの意見を表明する言語能力を持つ学生を育成することが、日本の国語教育の主要目的の一つであるべきであり、ひいては、このことが日本における英語教育の主な目的の一つともなるべきである。

 

 口頭でのプレゼンテーションをする力がないことや、はっきりと発言することを躊躇したり、会議で発言する勇気のないことなどが、今日、多文化社会の中で働いている日本人の弱点とされている。ミーティングの場では、黙ったままでいたら意見がないと思われてしまう。

 

 自己主張をすることが学校や職場の中では不必要だと考えられる文化や実社会で育ってきた日本人にとっては、口頭で発言しなければ理解を得られないということは、とても不利なことである。しかしながら、多文化社会へと変革していくにつれて、自己主張をして相手を説得したり納得させる姿勢といったものは、次第に要求されていくことになるであろう。

 

 多文化社会の中に生きていたら、いかに議論する力が要求されるかがよく分かる。アンケートの結果でみてきたように、アメリカに留学している学生は、そのことを十分に理解している。そして、日本にいる間に、いかに議論することに対する教育がなされていなかったか、ということを痛感しているはずである。

 

 日本においても、多文化社会を迎えつつある現在、日本の社会の中には異なる言語や文化、価値観を持った人たちがますます多くなってくる。これまでのところ、日本人はこのような異質なものを持つ人々とコミュニケーションを図るのは得意ではなかった。こうした現状を打開するには、とりわけ議論の出来る日本人を育成することが緊急に求められる。

 

 従って、今日の日本における英語教育で欠けていることの一つである「議論する力」を養う教育をすることは、急務であろう。しかしながら、それは英語教育の中だけで実現することではない。いやむしろ、今必要とされることは、日本の若者に来たるべき多文化社会の到来に備えさせるために、日本語教育をどう変えていくべきかを考察することである。これは、日本人が互いにコミュニケーションを取り合う方法を変えていくことに関わることだけに、大仕事となるであろう。

 

 

Mr. Nakagawa graduated with a master in education from the University of St. Thomas in St. Paul, Minnesota (USA). He is currently teaching English and cross-cultural communication at Osaka Gakuin University. Mr. Nakagawa has generously granted permission for the Englipedia website to host his paper.

 


 

参考文献

  • Day, R. R., Joseph Shaules, J. & Yamanaka, J. (2008).Impact Issues -. Tokyo: Pearson Longman.
  • Goodmacher, G. (2009). Stimulating Conversation, Tokyo: Intercom Press.
  • Lee, L., Yoshida K., & Ziolkowski, S. (2000). J-Talk. Tokyo: Oxford University Press.
  • Lubetsky, M. H., (2005). Make Your Point!, Tokyo: Tuttle Publishing.
  • Nakagawa, J. & Serafin P. (2003).  Eyes on the United States: its roots & soul. Tokyo: Sanshusha.
  • Randle, J. H., Gerard-Sharp, L. & Yagi, Y. (1997). Global Issues Today. Tokyo: Seibido.
  • Rooks, G. M. (1988). The Non-stop Discussion Workbook, Tokyo:Cengage Learning.
  • Shaules, J., Hiroko Tsujioka, H., & Iida, M. (2003). Identity, Tokyo: Oxford University Press Japan.
  • The World Almanac and Book of Facts 2008. (2008). New York, NY: World Almanac Books.
  • 松本大、(2008).巻頭インタビュー、「絶対に伝えたいという強い意思を持つことがコミュニケーションには不可欠」TOEIC Newsletter No. 103 200811月。東京:財団法人国際ビジネスコミュニケーション協会。

 

 


 

[1]本稿は拙著English Education: Preparing Students to Function in a Multicultural Society2009)に加筆修正を行い日本語版として再構築したものである。

[2]https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/print/us.html

[3]https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/print/ja.html

[4]http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-portrait-usa01.html

[5]http://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_the_United_States

これらの数字の総計は100%を超えるが、ヒスパニック系は全ての人種を総計したものを一つの民族カテゴリーとして記載していることから、二重にカウントされている場合もあることによる。

[6]http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/kihon1/00/06.htm

[7]http://www.adherents.com/rel_USA.html#religions

[8]http://atlas.cdx.jp/nations/asia/japan.htm

[9]http://caselaw.lp.findlaw.com/data/constitution/amendment01/

[10]米国で2001911日に起こった同時多発テロ事件以来、多くの人々はイスラム教、特にイスラム原理主義は他の宗教と共存することを望んではいないと思っているために、アメリカでイスラム教徒であることは容易なことではない。

[11]回答はハワイ州ホノルルにあるハワイ・パシフィック大学のHPU英語プログラムの学生とミネソタ州セントポールにあるセントトーマス大学のELSランゲージ・センターの学生による。

[12]高橋、2008920日の私信。

[13]松本大、「絶対に伝えたいという強い意思を持つことがコミュニケーションには不可欠」、巻頭インタビュー、TOEIC Newsletter No. 103 200811月。

[14]http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gaikokugo/index.htm

[15]http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/011/05031701/004.htm


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